図書館Q&A(レファレンス)


Q:尚家の家計図を調べたいので資料を紹介して欲しい。

A:尚家継承文化遺産(K762.19)、沖縄門中大事典(K288.2)琉球国王表文泰本(K200.8)、琉球尚氏のすべて(K219)を紹介しました。


Q:「象のオリ」について抜き出した新聞記事はあるか。

A:端末で「象のオリ」を検索。リストを基に金武町関係新聞を案内しました。


Q:「アスペルガー」について書かれた本はあるか。

A:分類378(教室の中の気がかりな子)、493.937(新児童精神医学入門、精神科医が語る子どもの心の病気)R493.7(心の家庭医学)を紹介しました。


Q:「ももたろう」の英語版の本はあるか。

A:蔵書検索の結果、「書架:315」に該当資料が1冊あったので現物を提供しました。


Q:「クスクス」の作り方の本はあるか。

A:料理の作り方と言うので、ネットでどこの国の料理かを検索。モロッコ料理であることが分かったので分類596を探したが見つかりませんでした。地球の歩き方、モロッコ≠見るとその中にあったので紹介しました。加えてネットのサイトにも作り方があったので、ネットのアドレスも紹介しました。


Q:小川徹著の本で真喜屋の歴史が掲載されている本を探している。

A:「沖縄の文化論叢民族編」(K219)と「沖縄の社会と宗教」(K382.19)に真喜屋のことについて書かれています。小川徹著の「近世沖縄の民俗史」(日本民俗学研究叢書)の計3冊を提供しました。また小川徹著の「羽地落穂集」は館内にないため相互貸借で対応しました。


Q:つなひき(沖縄行の行事)の本はありますか。

A:「沖縄・行事・イベントガイド」「沖縄の祭りと行事」現物資料を2冊提供しました。


Q:ワイングラスに関することを調べたいのですが。

A:所蔵図書にはなし。雑誌の特集記事を検索してみるとわずかではあるが掲載されていたので利用者に連絡をする。


Q:金城時雄氏に関する資料はないか?

A:検索をしてみると、「名護市の人物誌2」(K289.1)に掲載されていたので資料を提供しました。


Q:We are the world の歌詞の意味を知りたい

A:所蔵しているDVDの歌詞カードで確認したところ、「僕らは仲間」と記載されている。その旨を伝えました。


Q:門中という制度が庶民に浸透したのはいつごろか?士族の系図というものが一門になり、平民がそれを真似て門中が広まったと思うのだが、広く浸透するのにどれぐらいかかったのか?

A:『沖縄大百科事典』に「1689年の系図座開設に伴い、氏族層を中心に整えられた制度」とあり、『沖縄の家・門中・村落』に「農村での門柱の形成は19世紀末以降、本島北部ではもっと遅れて大正以降である(p21)」という記述があったので、それを伝えました。


Q:金武に飛行場があったようだが今もあるのか。場所はどのあたりか知りたい。飛行場の場所を知りたい。写真等があれば見たい。

A:金武の米軍基地内(キャンプ・ハンセン)に作られたものかもしれないと確信し基地の成り立ちを調べました。「金武町と基地」を提供しました。飛行場建設当時のいきさつや写真等が掲載されていました。また「金武町誌」にも記述がありました。


Q:護佐丸について調べたいので、護佐丸について書かれた本を紹介して欲しい。

A:護佐丸全集(K219ゴ)沖縄の英雄伝(K281.9オ)新琉球王統史4(K219ヨ)壷中天地(K219ヤ)沖縄戦国時代の謎(K219.9ヒ)蔡鐸本中山世譜(K219サ)沖縄大百科事典(KR030オ)を紹介。県立図書館所蔵、毛氏先祖由来伝、異本毛氏由来記は禁帯であることを伝えました。


Q:亀甲墓は17世紀後半に中国からの敗残兵によって伝えれたと思うのだが、それが庶民に広まったのはいつごろか?

A:『沖縄大百科事典』の亀甲墓の項目に「首里王府時代は庶民の築造を禁じたので、一般に広く流行したのは明治中期から大正・昭和初期にかけてである」という記述があり、それを伝えました。



Q:ジーマミー豆腐の作り方をしりたい。

A:沖縄の料理本から探して提供しました。



Q:自分で描いた絵をTシャツにしたい。その作り方や方法の掲載されている本が欲しい。

A:「オリジナルTシャツの作り方」をキーワードに図書分類の0類・5類・7類を重点に検索して提供しました。



Q:おみくじの縁起のいい順番を調べたい

A:1.『物事の「格付け」事典』安部直文著 2.『日本おみくじ紀行』島武史著 3.『巫女さん入門』神田明神監修 
以上3冊を提供 それによると大吉→中吉→小吉→吉→半吉→末吉→末小吉→凶→小凶→半凶→末凶→大凶とのことでした。



Q:区事務所は、最初は何と呼ばれていたか?又、区長の名称も何だったか教えてほしい。(区事務所と区長の名称の変遷)

A:区事務所は村屋(ムラヤー)→事務所と呼ばれていた。区長は掟(ウッチ)→村頭(ムラガシラ)→区長となっている。掟から村頭へは、明治30年(1897年)に変わり、村長から区長へは、明治41年(1908年)に変わっている。村屋から事務所へも明治41年に変更された。これは明治41年に「沖縄県及島嶼町村制」が施行され、これまでの旧慣制度から脱皮して本土化がすすめられたからである。(参考資料:金武区史 戦前編 上)



Q:番所という昔の役場の役割、住民との関係について知りたい

A:番所というキーワードで書誌検索、「北中城村史」と「沖縄大百科事典」に記述があったので、提供しました。



Q:廃藩置県後の琉球は薩摩に借金をしていた。各間切の借金額はいくらか?

A:『沖縄近代史研究‐旧慣温存期の諸問題‐』/西里喜行著(引用元:「沖縄県統計書」(明治26年))に掲載された明治25年末の間切負債額に関する統計数値表を提供しました



Q:月桃、田芋の栽培方法を調べたい

A:これでわかる薬用植物(KR499.87)、沖縄の薬草百科(K499.87)、タイモ栽培資料(金武町役場産業振興課資料)、インターネット資料を案内しました。



Q:田芋の病気や害虫について知りたい

A:金武町役場産業振興課の資料、「タイモ栽培資料」に害虫が掲載されているので、それを提供しました。



Q:村屋(ムラヤー)がいつ頃誰が作ったのかが知りたい。

A:村屋は『間切内の各村を管理するための機構、またその建物をいう』と沖縄大百科事典にある。間切の制度が作られた時代に村屋はできた可能性が高い。間切を調べたら、『王国の確立期にあたる尚真王の治世(1477〜1526)が契機となった可能性が高い』と沖縄大百科事典にある。沖縄県史各論編3古琉球に『各地のグスク(城)を拠点とし、一定範囲のテリトリーを保持していたはずの首長=按司たちはどこへ行ったのであろうか。それを解くカギが、「百浦添の欄干の銘」に刻まれる・の職制・位階制の整備であろう。………彼らは間切やシマを領有する上級官人としてすでに制度化されていたのである』とある。沖縄県史各論編3古琉球に『「百浦添の欄干の銘」であろう。この銘の末尾には一五〇九年(正徳四)初夏吉日という年代が記されており、疑う余地なく尚真期に関する同時代の記録である。』とある。従って、「村屋」は一五〇九年初夏吉日、尚真王によって作られた可能性が高い。



Q:金武町史に「部落時代」という記述があったが、どういう意味か?

A:「部落」というキーワードで書誌を検索。ヒットした沖縄関係の資料の内容を確認し、「部落時代」という記載があった資料をあたる。仲原善忠全集1巻と3巻に記述があり、それを提供しました。



Q:首里の王府と間切との連絡に使われた「宿道」がいつ作られたか知りたい。

A:定期刊行物『宿道』には「1429年に三山を統一した尚巴志が首里王府と各間切の番所(現在の市町村役場)をつなぐために整備した道。」という記述、ウェブサイト『琉球文化アーカイブ』(沖縄県立総合教育センター)の「道と人々」のページには、「1429年 尚巴志、三山を統一。宿道の整備を行う」 という記述があり、その旨を伝えました。



Q:七草がゆの七草が沖縄に生えているか知りたい

A:七草が何かを調べた後 『K 472.19 ヤ 沖縄の自然を楽しむ野草の本』『K 472.19 ヤ 沖縄の野山を楽しむ植物の本 改訂』で探したところ、7種類中6種類(その内2種類は同じ科の近似したもの)が記載、食べられる かどうかの記述もあった。上記2冊と七草がゆについて詳しい記述のあった『383.81 サ「年中行事から食育」の経済学』を提供しました。



Q:
観音寺から金武城までの道路を作ったときの屋敷の配分を調べたい
  
A:来館し、直接館長より『金武町誌』、『金武区誌』、『やんばる国道物語』、『スージン小探訪』、『挿絵で見る昭和初期の金武宿道(国頭方東海道)発掘調査現場一般公開』を使い説明しました。


Q:マングースについて書かれた本が読みたい

A:『マングース』で資料検索したが、絵本などしかヒットしなかった。『外来(生物)』で検索し直し、『外来種ハンドブック』という資料を提供。広辞苑の「マングース」の項も併せて提供しました。


Q:「金武区史」の中の【「出産祝いの歌」】「夜闇湧ち出て 明さ御世拝で 玉黄金抱て 母の御祝」の意味を調べたい。

A:この歌をインターネットで検索したところ論文がヒットし、その中に『琉球大学教育学部紀要 第66集』の記載があったため、県立図書館に相互貸借を依頼し本を取り寄せた。浅井玲子「出産祝いのうた」の浜比嘉島の歌と金武区の歌が類似しているため、(p.60)の浜比嘉の歌の意味「夜闇から満ち出て 明るい御世を拝み 玉黄金を(頭上に)いただき 母親のお祝いを」を紹介した。


Q:昔は赤ちゃんにお祝いを贈るとき、なぜマース(塩)をあげたのか

A:『沖縄県史第22巻各論編10民俗1』琉球政府編集 に、「今でもマースデーといってお金を嬰児の懐に入れてあげる。古くは塩そのものをくれたものだろう。塩は魔よけとして使われることが多いのだが、この場合には、食運(クエーブー)があるように、という願をこめたものであった。」(p215)「古風な村では芭蕉の葉などにほんものの塩を包んでやったが、近年は次第にそれが現金に代わってきた。(中略)塩は調味料としても貴重品であったが、生児の魂を脅かす悪霊を祓う呪力を持っているものとして貴重品であった。産育の儀礼には何かにつけて塩が使われるので、原初的な意味はやはり生児を守る呪物としての贈物であったろう。」(p491)と記述あり。


Q:武士には元服があったが、平民の成人年齢は何歳だったのか

A:『近世琉球の租税制度と人頭税』p153に「このときの人頭とは成 人(15〜50歳の男女)」という記述あり。


Q:大泉門(体の部位:頭)の方言名が知りたい。

A:『医学沖縄語辞典』に記述があったので、提供。


Q:ムーチーの由来と作り方を知りたい。

A:ムーチーの由来の絵本と共に、作り方が載っている資料を6冊提供した。

『おきなわ生活科ずかん−見つける・遊ぶ・作る・育てる−春』
『おきなわ生活科ずかん−見つける・遊ぶ・作る・育てる−冬』
『御願の道具と供えもの事典』
『家庭でつくる沖縄行事料理とふるまい料理−手軽に作れる絵で見るレシピ!−』
『沖縄の自然と文化シリーズ 8』
『おにムーチー』